当時の中学生の男子生徒は、ほとんどが軍人になろうと思っていました。茨城県の霞ヶ浦に海軍少年航空隊がありました。私はその海軍少年航空兵にぜひ志願したいと強く願っていました。
絵の真ん中が夏服の制服です。白い制帽、白い上着、白いズボン、上着のボタンは七つボタン。向かって左側が飛行機に乗る時の制服です。こうしたカッコイイ海軍少年航空兵になって、敵地に乗り込んでいき、敵兵を一人でも多く殺してやろう。それが、日本が戦争に勝つためには正しいことだ、必要なことなんだと、当時、私たちは学校教育の中でそう教えられ、それを信じて生きてきました。
しかし、日本は戦争に負けた。軍国主義の誤りも分かった。さらに、アジア諸国の国民の皆さんには、大きな苦しみと悲しみを与えたということも分かりました。ですから、日本の戦争責任は基本的には日本政府にあります。国が戦争を起こしたのですから...。しかし、私がたとえ少年であったとはいえ、戦争中を生きてきた日本人の一人として、日本の戦争に対しては、私自身も深く反省しなければならない。人を殺すことが正しいことだと、そういう教育を受けたとはいえ、そんな考え方を持ったこと自体、間違いであったと強く反省しています。